Miholly Times

京都から海外へ繋げながら、日々の生活を楽しくする経験を発信します!英語での発信にもチャレンジ(^^♪

レベッカ・ソルニット著、『ウォークス 歩くことの精神史』を読んでウォーキングを魅力を再発見!

こんにちは、みほーりーです。

 

みなさん、"ウォーキング"はしていますか?みほーりーは、この2年のステイホーム期間中にすっかり大好きになりました!ウォーキングは"運動"になるだけではなく、歩くたびに身の回りに新たな発見することもあるし、不思議と歩きながら色々な思考が働いて考えがまとまったり、良い効果がたくさんあるなぁ!と実感しています。

 

そんなウォーキング好きなみほーりーが最近読んだのが、レベッカ・ソルニットさん著のWanderlust (邦題:ウォークス 歩くことの精神史)」 。今では、誰もが当たり前のようにしているウォーキングですが、その歴史を紐解けば魅力的なエピソードがたくさん詰まっているんです。そんな先人の方々がどんな思いで歩くという行為を行ってきたのか思いを巡らせてみると、歩くことも更に楽しくなってきます。

 

 

もともとは日経新聞のコラムで知った本書、決して簡単に読み終えられる本ではないけれど、歩くことを通して様々な歴史や教養にページをめくるたびに触れられる素敵な本です。また、その言葉遣いも印象深い表現が多く、こんな英語を身につけたいという気にもさせられます。

 

今回の記事では、Wanderlustに書かれている印象的なエピソードを交えながら歩くことの歴史の一部を紹介をしたいと思います。ウォーキングが大好きな方々の参考になれば嬉しいし、是非洋書を読むことの魅力も気づいていただければよいなぁーと思います。

 

 

現代の私たちは自由にウォーキングを楽しめる

 

歩くことは、移動手段以上にたくさんの価値を感じることができますよね。運動としてのウォーキングはもちろんですが、みほーりーはよく考え事をしたいときや頭を整理したいときも歩きに出かけてみることがよくあります。歩きながら深呼吸をして周りの景色を見ていると不思議とこんがらがった頭も整理されていきます^^

 

ステイホームの時もずっと家にこもりっぱなしだと気分も沈んでしまいますがち。そんな時もちょっと歩きに出かけるだけで、外や自然とのつながりを感じるし、良い気分になりますよね。 

 

私たちが"自由に歩ける"ということ

 

こんな風に好きな時に気軽に歩きに行けるのは私たちにとっては当たり前のこと。でも、この当たり前は昔からそうだったわけではないということを Wanderlustを読んで初めて気づかされました。

 

人が"自由に歩く"という行為をできるようになったのは、実はここ100年くらいの話だとか!それまでは、身分制度や不安定な社会、治安の悪さ等によって自由を謳歌できなかった時代で、今のように趣味や楽しみとして外を自由にウォーキングすることは一般的ではありませんでした。

 

ただ、古代の時代から歩くということは思考と深い結びつきがあることが認識されていたり、また様々な宗教や社会的な活動を動かす原動力にもなってきました。そんな過去の人々が時代の背景に合わせて歩き続けることをしたからこそ、私たちも今楽しく歩けているのかなと考えさせられます!

 

Wandelustには、歩くことにまつわる数えきれないほどのエピソードが紹介されていますが、いくつか面白いものをピックアップしてご紹介します。

 

歩くことは考えること 

 

歩くと思考も冴えると感じる人は多いと思いますが、実はこれは古くは古代ギリシアの時代から哲学者に大きく影響を与えていたようです。 

 

古代ギリシア 

 

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは有名ですよね。彼が創設した学校で学んだ人はペリパトス派 (Peripatetic School)と呼ばれていました。ペリパトス(Peripatos)はギリシア語で歩くという意味。つまり、「歩く学校」アリストテレスの時代から歩くことと考えることは、密接に繋がっていたようです。

 

ちなみに、きっと皆さんが見たことのある16世紀の初めにラファエロが描いた「アテナイの学童」の中心を飾るのはプラトン(左)とその弟子アリストテレス(右)。二人は歩きながら話し込んでいる姿が描かれていますよね。

 

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Raphael, Scuola di Atene


 アリストテレスに限らず、その前に生きたソクラテスも街中をひたすら歩き回り、出会う人に問答をしながら心理を解き明かすという手法を用いています。その後、弁論術の発展もあってそれを教えることを職業とするソフィストという人たちも増えていました。手に職を持って、その土地に留まる職人や農民と違って、古代ギリシア哲学をする人は歩くというイメージを持たれるようになりました。

 

Peripatetic というのはそのまま英語にもなっていて、「巡回する、歩き回る」という意味で使われています。

 

 

18世紀の西洋で花開く歩行と哲学の世界

 

古代ギリシアの思想は、その後の中世では一時重要視されなくなりますが、14世紀~のルネサンス時代にはそれが復興します。そして、18世紀には個人による理性と思考を焦点とする啓蒙主義が広がっていきます。

 

この時代に活躍した多くの哲学者たちは、歩くことが思想に与える影響について発信していきました。例えば、フランスの哲学者ジャン ジャック ルソー。決して恵まれた家庭に育ったわけではなかったルソーが人生の若年期に放浪の旅に出たことの経験をきっかけに、歩くことのすばらしさについてその後の著書で書いています。

 

"I do not remember ever having had in all my life a spell of time so completely free from care and anxiety as those seven or eight days spent on the road.."

「これまでの人生において、道中で過ごした7-8日間ほど不安や心配事から完全に解き放たれた時間は記憶にない」

 

ルソーは、幼少期に虐待を含めて精神的にも身体的にも苦しい経験をしたからこそ、放浪することによって自由に解き放たれた高揚感を感じたのかもしれません。

 

また、思考については下記のようにも語っています。 

 

"Never did I think so much, exist so vividly, and experience so much, never have I been so much myself as  in the journeys I have taken alone on foot. (中略) All these serve to free my spirit, to lend greater boldness to my thinking"

「あの放浪した日々ほど、思考を深め、活き活きと存在し、自分らしく経験をしたことはない。これらは全て私の精神を解き放ち、大胆な思考を行うために寄与した。」 

 

まだ自由に自分の意見を主張するのが難しい時代、ルソーを始めたとした啓蒙思想の普及によって後のフランス革命にも繋がっていったのかと考えると、歩くということは歴史にも大きな影響を与えたのかなと考えさせられました。

 

身近に歩く場面を広げたイングリッシュガーデン

 

ここまで、哲学者にとっての歩行について書いてきましたが、一般社会の人々にも歩くことが意味を持ち始めます。

 

18世紀当時は道中を歩くといっても道路は整備されていなくて、治安もよいとは言えない状況で、歩いて遠方に行くということはあまり考えられません。そんな中、英国では各地の城塞が宮殿への変貌、そして庭園が発達をしていきます。

 

英国では、宮殿から見渡すように幾何学的なフランス庭園とは違い、自然の景観を取り入れた英国式庭園(イングリッシュガーデン)が作られます。そして、イングリッシュガーデンでは眺めるというよりは、自分で歩きながら散策するというスタイルができあがっていきます。庭園の内外も隔てる壁も徐々になくなり、貴族以外の大衆も歩くことを楽しめるような素地が作られていきます。

 

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Humphry Repton, Water at Wentworth, Yorkshire

 

女性の自立を支えた庭園

 

19世紀の英国は、まだ女性の立場が弱く自由に振舞うことが難しかった時代。ジェイン・オースティン著の『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』が出版されて以降、女性が書く本/小説には「歩く」シーンが数多く登場するようになるようです。

 

家の中では女性個人の考えを自由に表現することができない中、庭園を歩くことを活用しながら何かについて自由に考える場面や、家では公式にはなかなかできない社交などのシーンが描写されます。

 

こうして、歩くことは女性の自立的な思考を育む場としても発達していくことになります。

 

街中散策の歴史はフランスパリから

 

英国から舞台をフランスのパリに移して、時は19世紀。この時代のパリは都市の大改造が行われて花の都と言われるような美しい町並みに変貌していきます。この時代、パリに滞在する多くの著者が街中を散策する魅力を発信し、それを受けて特定の目的を持たずとも街を歩くことがブームとなりました。

 

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Gustave Caillebotte, Rue de Paris, temps de pluie (1877)

 

一気に工業化が進んで人々の暮らしが豊かになってきた時代。歩きながら、(どんどん変化する)人々の身だしなみや生活を観察しようする人たちも現れ、Flâneur(フラヌール:さまよう人)と呼ばれるようにもなりました。こんなフラヌールの典型的な姿も当時の新聞に掲載されていたようです。おしゃれに見えますけど、ジーっと見つめられたらちょっと怖いですよね(笑)

 

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Paul Gavarni, Le Flâneur, 1842

 

それまでは、仕事や生きるための手段として歩いてきたけれど、この19世紀末のパリのように個人が楽しみを目的として歩くようになったのは、現代の私たちが街中を散歩するのと似ている気がしますね!私たちが趣味でウォーキングをするというのは、多くの歴史の上で成り立っていることを改めて感じさせられます。

 

魅力的な英語表現の宝庫

 

ここで紹介したエピソードは『Wanderlust』には書かれている数えきれないほどのエピソードのうちの一部です。(体感的には100分の1くらい。)そんな、歩くことをテーマとした話題に富んだ一冊になっていますが、それとは別にみほーりーが気に入っているのはレベッカ・ソルニットさんの魅力的な英語表現です。

 

みほーりーは、本書を英語のブラッシュアップという意図もあって読み始めましたが、正直難しい表現も多くて一度で英語をすべて理解するのは難しく感じることはあります。ただ、歩くことの魅力について豊富な語彙と言葉遣いで表現されており、その英語の使い方に惹きつけられます。

 

例えば、第一章のまとめ歩くことが自身に与える影響について、このように説明をしています。みほーりーもお気に入りの一文です(^^)/

 

"When you give yourself to places, they give you yourself back; the more one comes to know them, the more one seeds them with the invisible crop of memories and associations that will be waiting for you when you come back, while new places offer up new thoughts, new possibilities. Exploring the world is one of the best ways of exploring the mind, and walking travels both terrains. "

「ある場所に自分を向かうと、その場所はあなた自身を返してくれる(自身について教えてくれる)。その場所を知れば知るほど、次にあなたが戻った時に迎えてくれる記憶やその場所との関係を育む「種」を植えることになる。そして、新しい場所は、新たな思考や可能性をあなたに授けてくれる。世界を探索することは思考を探索するための最適な方法だが、歩くことは思考とその土地のどちらも旅することができる。

 

みほーりーは『Wanderlust』は、時間をかけて再読することで、様々なテーマの教養だけではなく、随所に使われている素敵な英語表現を磨いていきたいなとも思いました。

 

まとめ

 

今回は『Wanderlust』の内容を紹介しながら、人が歩く事とどの様に関わってきたのか紹介してきました。ここで書いたこと以外にも、宗教や巡礼に関わる話、社会的なデモ活動、アートやそもそもヒトの二足歩行をするようになったこと、などジャンルにとらわれないたくさんの知識に触れ、知的好奇心を満たしてくれる一冊となっています。

 

昔の大先輩たちが経験したように、今みほーりーが楽しんでいるウォーキングも、きっと続けていれば大きな意味を持つようになるんじゃないか...と更にモチベーションも向上しました。

 

是非、ウォーキング好きなみなさんも手に取って読んでみて頂ければと思っています。そして、英語の学習としてチャレンジしたい場合は洋書をおススメします!今、みほーりーは好きな章を読み返しながら、おっと思う言葉や表現を調べたりして楽しんでいます。ここで学んだことは、ツイッターで紹介してみたりと英語学習の良い循環にもなっているなと感じていますよ。

 

 

それでは、また(^^)/