Miholly Times

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歴史の「もしも(IF)」を考えると面白い!古代ギリシアとペルシアの戦いが世界史の流れを決定づけた?!

こんにちは、みほーりーです。

 

「あの時、違う結末になっていたら世の中は大きく変わっていたはず。。」

 

歴史が好きな方だったら、こんなこと思うことってよくあるかもしれせんね!過去の中の分岐点があればあるだけだけ、未来も色々なパターン(歴史のもしも「IF」)があったはず。そして、私たちはたまたまめぐり合わせた、歴史のシナリオを歩んでいるに過ぎないということ。

 

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私は、塩野七生さんの歴史小説を読むのが大好きで、先日『ギリシア人の物語』を読んでいるときに、ふと数千年前の世界を思いを馳せて、そんなパラレルワールドについて考え込んでしまいました。

 

個人的に、小学生の時に学び始めた世界史のテーマが古代史だったこともあり、とくに古代ギリシアについてはすごく興味深く学んでいたことも影響していたかもしれません。ちなみに、誰もが知るスパルタ人についての記事もこのブログで以前書いてみていますので、よかったら見てみてください(^^♪

 

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今回書いてみたかったのは、古代ギリシア人の宿敵として対峙したペルシア帝国との戦いがあった結果として、今の私達の世界があること。そして、この戦いの結末が異なっていたら、きっと現代の状況は様変わりしてたんじゃないかなと考えさせられたんです。

 

ずっと誰かに話したいと思っていたのですが、そんな私の考えについてこの記事では紹介したいなと思います。歴史のIFに興味がある方で、もしお時間があれば読んでもらえると嬉しいです(^^♪

 

 

古代ギリシアを狙う東のペルシア帝国

 

紀元前5世紀の古代ギリシアでは「ギリシア」という国があったわけではなく、都市国家が複数存在しながら、互いに対立をしている状況でした。その中から、アテネやスパルタのような力強い都市国家が発展してきます。(ちなみに、ギリシアで生まれたオリンピックは神々の前でスポーツで争うとうことで、期間中のどの都市国家も休戦をするルールだったようですよ。)

 

そんなギリシア世界の東側のオリエント世界には巨大なペルシア帝国が当時のスーパーパワーとして構えています。

 

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ペルシア帝国 アケメネス朝

 

そんな、帝国がギリシアも手に入れたいと西側へ攻め入りたいと思うのは自然の流れ。そして、紀元前480年頃にペルシアの第一陣が30万の兵力を引き連れて侵攻を開始し、互いに争っていた都市国家は初めてギリシア連合として、これに対峙していくことになります。

 

先鋒スパルタ軍によるテルモピュライの戦い

 

まずペルシア軍は、現代のトルコからバルカン半島に渡り、そのままギリシアへ南下をしてきます。

 

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ペルシア軍のギリシア進軍路
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:PersianWarPhase3.jpg

 

この30万の大群に対して、まず迎え討ったのがスパルタ王であるレオニダス王と彼に従う300人のスパルタ兵を中心としてギリシア兵5千人程。スパルタは独特の政治体制によって王と言えども、軍を思うように集めることができず、僅か300人での出陣となりました。

 

ペルシア軍を迎え討ったのが、谷の合間に狭い通路のみがあるテルモピュライ。この地形を活かした少数精鋭の兵で、押し寄せる大軍に立ち向かいました。

 

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幼少期から連携して戦うことを訓練される勇敢なスパルタ兵は独特の陣形で戦いを有利に進めて、これに太刀打ちできないペルシア軍は多くの戦死者を出します。そして、ペルシアの王クセルクセスは2日間に渡って総攻撃をかけるも突破を出来ず、膠着状態となります。

 

そんな時に、あるギリシア人がペルシアのクセルクセスに谷の裏へ迂回する秘密の通路があることの情報を提供してしまうんです。。。これを受けた隠密部隊は密かにスパルタ軍の背後に回り、彼らを取り囲む準備を行っていきます。この動きを察知したスパルタのレオニダス王に対して、クセルクセスは投降を呼びかけますが、レオニダス王はこれを拒否。最後の1人が倒れるまで勇敢にスパルタ兵は戦い抜き、レオニダス王も倒れることとなりました。

 

結果的にペルシア軍に敗れたスパルタ軍ですが、約二万のペルシア兵を倒したことは、勇敢なギリシア兵に対するクセルクセスの警戒心を一気に高めたと言われています。この戦いによって進軍のペースが鈍化したペルシア軍に対して、背後に控えるギリシアのもう一つの強国アテネは、来るべき決戦に備える時間的猶予が与えられました。

 

テルモピュライの戦いから約一ヶ月後、ギリシア軍とペルシア軍との間でサラミスの海戦が行われますが、ギリシア軍は一転してペルシア軍に対して大勝利を収めます。これがペルシア戦争における大きな分岐点となり、徐々にギリシア優勢な展開へと傾き、最終的にペルシアをギリシアから退けることに成功します。

 

その後のギリシア世界の影響

 

ペルシア戦争後、ギリシアエーゲ海支配下に収め、アテナを中心として繁栄する黄金時代を迎えます。都市国家間の争いは起きつつも、アテネは強力な海軍を作り上げて、都市国家間で大きな同盟を作り上げます。その中では軍事にとどまらず、新たな経済圏を作っていきます。経済が発展をしていくとともに、現代でも有名な哲学・文化が一層発展をしていきます。

 

ギリシアで生まれたソクラテスプラトンアリストテレスを代表とする哲学者による著書は西洋思想のルーツにもなっていますよね。そして、彼らは哲学だけでなく自然科学への洞察も深く今でいう科学者のような発見も数多くしています。例えば、この時代すでに地球は丸いということと、円周を正確に計算していたということに、驚かされます!

 

この時代に繁栄を極めたギリシア黄金時代は、ちょうど20世紀のアメリカのような存在なのかなとも思いました…!歴史は繰り返ししているかも?!

 

アレクサンダー大王によってアジアへも影響拡大

 

そんな絶頂期にいたアテネもやがて凋落していく運命が待ち受けます。(民主主義が腐敗して自己崩壊していく過程もなかなか興味深いです。。。)その結果としてアテナは弱体化し、ライバルであるスパルタとの因縁の戦いにも負けることになります。

 

ただ、そうして事実上ギリシアの頂点に立ったスパルタは民主主義とは対極にある軍事国家。ギリシア全体を引っ張っていく器も手腕も発揮できず、ギリシア全体としても衰退していきます。これと同時に息を潜めていたペルシアも再度ギリシアへの野望を燃やし始める動きも出てきます。。。

 

それでは、ギリシア世界が終わってしまうのかといえば、そうではありません!ギリシアの北にあるマケドニアの国で、先述の哲学者アリストテレスの教えを受けた若きアレクサンダー王が彗星の如く台頭します。

 

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ポンペイから出土したモザイク画(紀元前4世紀)

アレクサンダーはギリシアを一気に制圧し、そのまま現代のトルコへ渡ってペルシア帝国へ電光石火のように攻め入り支配下に収めていきます。最終的、南はエジプト、東はインドまでの広大な大帝国を築くことになります。

 

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アレクサンダーが築いた帝国
https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_the_Great#/media/File:MacedonEmpire.jpg

 

ギリシア文化の浸透

 

アレクサンダー大王は占領した地域にギリシア文化を積極的に浸透させていきます(ヘレニズム時代)。アジアの各地でアレクサンドリアというギリシア文化を体現した都市が造られます。この時にギリシア哲学の書籍も多く持ち運ばれて、後々中東の科学文明の発展にも繋がっていきます。

 

日本への影響

 

別のシルクロードという本を読んでいた時に、宗教についても面白いことが書かれていました。仏教が生まれるのは、アレクサンダー大王の時代から数百年も後のことになりますが、ギリシア宗教も参考にしていたようです。ギリシアはゼウスやアテナなど多神教で、神々に石像を作って人々は信仰をしていました。初期の仏教も、これを参考に信仰をより分かりやすく浸透させるために仏像を作っていったとのこと。さらに、寺院やお寺の建築も柱などは、ギリシャ建築へのルーツにもあるようです。

 

例えば、日本の法隆寺正倉院の少し膨らみのある柱はエンタシスと呼ばれて、世界では初めてギリシア建築に使われたものと同様の技術であると考察されています。

 

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法隆寺の柱(エンタシス)
 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11693339による

 

こうした古代ギリシアの影響がインドから中国、そして日本へと影響していると考えると面白いなと感じます!

 

ルネサンスギリシア文化が花開く

 

アレクサンダー大王以後、地中海はローマ帝国へから中世ヨーロッパへと移行していきます。十四世紀頃からルネサンスが始まると、古代ギリシアやローマの文献が再度見直されるようになり、ヨーロッパ文明も一気に花開き現代へと繋がっていきます。

 

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"The School of Athens" by Raffaello Sanzio da Urbino

 

長々と書いてきましたが、ギリシアがペルシアに勝利したことが、今の私達が住む世界へと繋がっていっているのかなと感じさせられます。

 

IF ギリシアがペルシアにやぶれていたら

 

ここで、一回立ち止まってこの記事の始めのギリシア対ペルシアに戻ってみます。

 

もし、ここでペルシアの大群にギリシアが敗北させられていたらどうなったんでしょう。先鋒として戦ったスパルタのレオニダス王が、粘れずにすぐに敗北し、ペルシア軍が士気を高く間髪入れずに南下してきていたら?アテネも十分に迎え撃つ準備ができずにギリシア連合は負けていたかもしれません。

 

その場合は、この記事の前半で書いてきたことはすべて起こらなかったことになります。ギリシア文明もペルシア傘下の中では埋没し、欧州や地中海では全く異なる文化圏ができていたのかなと思います。

 

キリスト教イスラム教ももちろん誕生していなかっただろうし、当時のペルシアな宗教でもあったゾロアスター教などをベースとした宗教に発展していたかもしれません。

 

歴史を学ぶと面白い!

 

今回妄想してみた古代の戦いの一幕の結果が少し変わるだけでも、世界史は私たちが今理解している西欧中心ではなく、中近東中心の世の中だったのかもしれないですよね。

 

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そんな歴史のもしも(IF)について、たまに考えてしまうけれど、それが昔に遡れば遡るほど、過去の出来事は大きな影響を与えるなと実感します。そのような妄想を楽しめるのも、歴史小説を読んでみる醍醐味だと思います。

 

まとめ

 

今回は古代ギリシアのペルシアとの戦いに注目をして、私たちの世界史にその後どのようにつながっていったのかを紹介し、もしペルシアに敗れていた場合のIFについて考えてみました。昔に遡ればそれだけ、ある出来事が歴史に与える影響が大きくなりますよね。

 

古代文明で起きたことは当時の記録が遺跡などから出土して残っているから学べますが、人類の歴史はもっと昔の先史時代からずっと続いていますよね。その中には無数のIFがあったはずで、その中のたった一つのシナリオの先に私たちが今暮らしている世界があるんだなって思うと、スケールが大きくて考えれば考えるほど面白くなってきます(^^)/

 

是非、みなさんも機会があったら気になった歴史を調べてみるのはいかがでしょうか?塩野七生さんの歴史小説も面白いのでおススメですよー。

 

 

それでは、また(^^)/